墓地の分譲・永代供養/京都 善想寺 華道池坊家元のお墓
華道池坊歴代家元・墓碑
当山は華道池坊歴代家元と縁深く、池坊三十二世二代目、専好師が万治元年(1658年)に当墓地にまつられてより、明治四十一年(1908年)の四十二世専正師までの歴代家元がまつられています。
二代目専好師は「立花大全」を成し、立花を宮中から一般人にまで広げ立花の中興といわれ名人と称されました。
また、十八世紀初頭には立花から生花へと移り、専純・専弘師の生花を基本として学んだ四十世専定師は生花を大成させ、近代いけばなの家元への道をひらき名匠といわれた方です。
そして、幕末期よりの家元である四十二世専正師により、近代的再編が成し遂げられます。
明治期、専正師は博物館鑑定議員に選ばれ、明治五年より京都近代化を目指してつくられた「京都博覧会」において、立花・生花の出陳を行い、明治十二年には京都府女学校の花道教授に任命されます。
この頃、池坊花道界には近代にそくした花道論が興り
「家元花道ハ日本美術ノ最モ高等ナルモノト為セリ」
として芸術としての飛躍に向け、池坊の組織は抜本的な改革にのりだします。
