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永代供養による納骨 墓地の分譲 京都 善想寺

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これまでお葬式は各自宅で執り行いました

自宅葬は家制度と相まったものであると思います。即ち職業、社会的立場、家族の構成により成り立ち、またさらに自宅葬は生活のつながり、地域住民等により成り立つものです。

そこには人情、義理が豊かに生じていたものと思います。したがって自宅葬は親族、地域、社会や職業のつながりによって支えられていたものと言えます。

葬儀式が自宅から会場において行われるようになって、葬儀式はその方法や規模などに各個人の自由度が広がったものであると思います。

この場合葬儀式の意味ではなく、家制度に影響を受けた葬儀式がその方法に自由度の広がりが生じたと思います。

葬儀式が義理人情から離れ個人のものとする。即ち、個人家族(情愛)、と社会(立場)、経済(職業)における3者の距離が生じる。功徳を維持する情愛、立場、給料などのそれぞれの間には距離を保つものであることが本来であると思います。

本能と文化は言語(存在と流れ)によりつながる延長線のものであり、情愛(本能)は2分化して慈悲(願い)と知恵となりこれらの働きによって文化は社会(立場)や経済(生産)として進化する。

帰依するということは私たちが大いなるものとつながりを持っているということであり、生前これまで手をあわせ、お念仏を唱えてきた私たちが神仏と出会う時を迎えるのでありそれを表す葬儀式は重要であると思います。

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