お問い合わせ
close
法話

永代供養による納骨 墓地の分譲 京都 善想寺

お問い合わせ

法話

平成28年10月 住職法話

善想寺の先々代住職、祖父が大火や兵火のために焼失した記録の焼け残りを取りまとめて整理し再録した昭和17年の「浄土宗大悲山善想寺誌」があります。その文書から要点を記します。

現在、善想寺が在る地名は平安時代には「平安京左京永昌坊第二保の内六角通東大宮大路西」とある。大宮通は道幅十二丈(約36メートル)、六角通は道幅四丈の広さで現今の如く道幅が狭くなったのは天正の年、桃山時代であった。

藤原時代  善想寺境内を含むこの地一帯は、藤原頼忠公三条殿、第(邸宅)内で第は東は大宮、西は壬生、南は四条坊門(蛸薬師)、北は三条の区域内で方二町一万四千四百坪の広大な御屋敷内である。第六十四代円融天皇は天元四年七月七日、朱雀(千本)の大内裏御所の炎上の後に三条殿に行幸あって一時皇宮とせられ四条後院皇宮といった。頼忠公は八月行幸を期として宴會をなされた。夜水上の月を見て

水きよみやとれるあきの月さへや

千世まできみとすまんとすらん

南北朝時代  元弘建武の京都での合戦数度あって御殿は廃墟となり後に文官公卿達の家と仏寺となり、本寺の現今の土地は此の時代は廃墟内であった。

室町時代  本寺、善想寺の草創

応仁の大乱の後に京の帝都は荒廃し元亀の年まで此の土地は人家少なく荒漠たる蔬圃(そほ=野菜畑)の内にあった。

後柏原天皇の永正九年藤原為善の嫡子が三河国碧海郡小垣井村に生まれた。幼名を悦次郎という。父為善公は内大臣正二位内蔵頭藤原高藤公三十二世の孫で母は松平家である。悦次郎七歳の時母が、十歳之時には父が兵戦のため歿す。浄土宗法然上人より十四世の宏善上人の室に入り十六歳で剃髪し、宗乗を極めその奥義に達した。宏善上人は大いにその勉めを愛し自らの名の一字「善」を與へ幼名悦次郎の悦の一字をとりて「善悦」と号した。出家して 専蓮社心譽想阿善悦上人という。善悦上人は三十歳の時に入洛せられ応仁の乱後の荒廃した浄土宗寺々の再興に努力せられた。第百五代後奈良天皇の天文十一年に上人は三十一歳の春に洛西蔬圃の地を開拓して一寺を建立せられた。法名の二字を採って善想寺という。大いに浄土教道場として浄土宗を弘通し一部を居宅として住せられた。上人は幼き時より博覧強記の人で頗る仁慈の徳望家であった。或る日庭に一羽の雀の落ちるを見て大いに憐み熱く葬り弔われたという。雀一羽でさえ子の如くまして一般衆生に対する仁徳家であるから上人に帰依せし人々は上下の別なく何萬に及んだと云う。上人は又利欲に頗る薄く貧生活に甘んじたのは時々私財を以て公益に盡し又寺々のために私財を少なからず放出したがためであった。

善想寺開基 専蓮社心譽想阿善悦上人は天正九年五月二十日七十九歳で寂せられる。

永正九年に生まれられた。 天文十一年に本寺(善想寺)草創せられた。

上人は善想寺の草創者であった。又開基という。

桃山時代   本寺、善想寺の建立

第百六代正親町天皇

の御代従一位関白太政大臣豊臣秀吉公が尾張國愛智郡より起り位人臣を極められた時で帝都の復興に手をつけられた時であった。

桓武平氏支流長田氏従五位下駿河守景致より十九世の後孫で姓は長田と云い名は春致(むね)と云う。駿河國駿東郡長泉村に永禄二年に生まれ幼にして仏典に通じ十九歳の時に鎌倉光明寺に入り剃髪受業し法春と改め浄土宗蕉典に就いて研究し其教義の奥義を極められた。號を覺蓮社と云う。

天正十年に年二十五歳の時に豊臣秀吉公の召に応じて入京し盛んに浄土教を弘めたのであった。同年六月織田信長公六角本能寺で歿後、大徳寺内総見院で大葬の時に多くの名僧中に加はり法要を営み秀吉公の命によって六角大宮に草創の善想寺を立派に再建しせられた。天正十年十月であった。

善想寺開山 覺蓮社正譽法春上人は寛永十九年二月二日八十四歳で寂せられる。

本寺、善想寺は浄土宗鎮西派総本山知恩院末寺八十三ヶ寺中本山六役と云い六ヶ寺の内で此内より代わる々々本山執事となる権威の寺であった。

第百十九代光格天皇の天明八年正月晦日に鴨川團栗橋より出火、京の大火に浄土宗知恩院末寺四十六ヶ寺、本寺とともに焼失する。文化時代に本寺は假堂ま々再建せられ町の名は六角大宮西入善想寺門前町と云うた。

近世時代、明治二年に本寺の地は下京一番組に編入せられ町名を三条大宮町と云うた。

泥足地蔵尊像は寺門にあり洛陽第六番地蔵巡り札所で浄土宗十八番霊場である。

因みに本寺の地は藤原時代の古昔今より九百六十二年前(1037年前・平成28年時点)に従一位関白太政大臣左近衛大将藤原頼忠郷の邸址であるが此本寺を草創せられたのは矢張り頼忠郷の末裔藤原悦次郎善則(善悦上人)とは同じ藤原氏系統で實に縁と月日の廻り合せとはそうなるべき筈である。

前のページへ戻る
2017 © 京都 善想寺
TOP