善想寺の境内も含めたこの地には、百練抄に
「天元2年(979年)太政大臣藤原頼忠私家を以て造進し後院となす」
とあり平安期には藤原家の邸宅があった所です。
12月8日、市埋蔵文化財研究所の発表で平安前期の藤原家の邸宅跡が確認されました。
平安京があった京都市中京区で、平安時代前期(9世紀後半)の貴族の邸宅跡が見つかったと、市埋蔵文化財研究所が8日発表した。出土した墨書土器や当時の絵図などから、右大臣・藤原良相(ふじわらの・よしみ)=813~867年=の邸宅と断定した。特定の平安貴族の居住地を発掘調査で確認できたのは初めて。仏教大キャンパス予定地の約2500平方メートルを調査したところ、平安前期の建物跡と庭池の遺構が確認された。池は南北24メートル、東西18メートルの長方形。中央に直径6メートルの島があり、南岸とを結ぶ土橋(長さ8メートル、幅1.5メートル)も築かれていた。
池の周囲からは、貴族らが小川のそばで詩歌を詠む「曲水の宴」を開いたとみられるS字形の石敷きが出土、池の西端には礎石と柱を据えた縁側の跡があり、そばから「三条院釣殿高坏(さんじょういんつりどのたかつき)」と墨書された土器や、中国・唐で作られた多数の高級陶磁器がみつかった。
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