「阿弥陀如来の願とお念仏」
(生命の内と外における生命活動の共通の表現と願い)
私たちの浄土信仰は阿弥陀如来の願によるものでありこの願いこそ生命活動のすべてを導くものであります。
たとえば生命は生と死を二分化しようとする願いであり、これらは進化により本能として獲得していきます。
そしてこれは科学や言葉により表現することができるものです。
そしてこの生命体の外の世界、すなわち自然や社会も同じく科学や言葉により表現され、人は人間としてその生を送り至るべき物事へ至ることを願うものと思います。
このために人間は多くの文化を獲得してきました。
すなわち生命とその生命の一生を支える生命活動の源となるものが願いであり、阿弥陀如来の四十八の願はこれを表したものであるといえます。
阿弥陀如来の第十八願、「説我得仏 十方衆生 至心信楽 欲生我国 乃至十念 若不生者 不取正覚」は要約すると「わが名前を呼ぶものは必ずその者を救う」であります。
この仏の言葉に従って私たちは南無阿弥陀仏と念仏を称えてきました。すなわち阿弥陀如来の願とは私たちの希望、願いであり、あらゆる生命活動の源であります。
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