この地図は平安末期1170年代当時の京都です。地図が示すように840年前、善想寺の有るこの場所は『後院』でした。
天元2年(979年)から元弘、建武の京都の戦(1331~4年)で御殿が廃墟となるまでの350年間、この場所を四条後院といいました。
後院とは天皇の譲位後の御所で、天元3年11月の大内裏炎上の後、円融天皇は四条後院に行幸され一時皇宮となりました。善想寺の石仏阿弥陀如来は800余年前からこの後院の中にまつられていたものです。
元弘、建武の戦の折、石仏を守るために土中に埋めました。そして400年前この地が善想寺境内となって後、石仏は出土されました。
現在は墓地内入り口におまつりしています。石仏は後院内にまつられてより800余年のあいだこの地を見守ってこられました。
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