お念仏は心体における生と死の二分化、生命活動の原点であります。
日常生活とは心体が色々な事柄にとらわれることであり、ここにお念仏によりその人本来の生命活動や功徳が生じます。
お念仏はその人の日々の生活の中にあり、安らぎに導きます。
法然上人の最後の言葉は「ただ一向に念仏すべし」であり次の言葉によく表されています。
「一心専念弥陀名号 行住坐臥 不問時節久近 念々不捨者
是名正定之業 順彼佛願故」
(毎日の生活の中でどのような時でもできる範囲で南無阿弥陀仏とお念仏を続ける人、これが仏の教えにかなった正式な行いであります。)
この「一心専念…」の一文は善想寺本堂、御本尊須弥壇の両脇に銘記されています。
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