自らの生命の位置付けとしてこの世と浄土(または地獄)を捉える事が出来た。 即ち自らの生を捉えた喜びが浄土教文化である。
あるものを捉える時、あるもの以外の想定が必要である。この双方によってあるものは捉える事ができる。
死後の世界とはこの世が一人一人の世界であることを表す。即ち死後の世界はそれ以外のこの世という一人の人間にとって存在するところのすべてを表すものである。
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