「京都新聞・宇治拾遺物語に千余年前の四条後院が書かれていました。」
京都新聞「古典に親しむ」の欄に連載されている「宇治拾遺物語は楽しい」があります。今年1月9日の宇治拾遺の記事には現在は善想寺の境内であるこの地が後院(天皇退位後の御所)であった頃のことが書かれていました。
天元3年(980年)11月大内裏炎上し天元4年7月、円融天皇が四条後院に行幸あり一時皇宮となった時のことです。
その記事の内容は 「昔、内裏が火事になり円融天皇が退位後の御所におられた頃のことです。殿上人の部屋で大勢の人々が食事をしているときの変事で、蔵人の貞孝が食事中、いびきをかいて眠りこけて、喉から奇妙な音がしており急な脳疾患にみまわれ亡くなります。この間、頭中将がうまく策略、貞孝の遺体を人目につかぬよう西の陣から御所の外へ出しました。その後、二十日程して頭中将の夢に生きているときの姿で貞孝が現れ、遺体を御所から出してくださり人目にさらされずにすみましたと、喜んだということです。」
宇治拾遺物語の成立は1210年ごろで、約800年前の説話集です。
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