物事を存在としてみるとき原点は等速度となる。
また流れとしてみたとき事実に対する視点は定点(等速度)となる。
したがって、生命活動という運動は等速度から加速度による運動(活動)が生じるのであり、等速度においては意志、判断を司るところのものがある。
したがって我と八正道は同一の位置であり表裏の距離をもつ。
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