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永代供養による納骨 墓地の分譲 京都 善想寺

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平成24年4月住職法話

善想寺の歴史のなかではっきりとさせたいところがいくつかあります。

先述の「善想寺石仏の造立者は誰か」ということのほかに、先ず想阿善悦という高僧が天正9年5月20日に遷化、翌年の天正10年10月に想阿善悦の孫弟子、法春が帝都復興にかかる秀吉の命によりこの地に想阿善悦の名に由来する善想寺を創建。これは洛西の地にて人々を教化、何万人の帰依者があった想阿善悦の存在をとどめようとしたものと思うが、なぜこの地が選ばれたのか。後院の跡地ゆえか、または石仏を由来とするものか。

また菊、鳳凰、御神鏡を設けた本堂内三尊の宮殿が造られた理由とその造営者についても定かではない。さらには伝教大師御作の地蔵菩薩、大師滅後坂本村にまつられる。善想寺創建5年後の天正15年3月23日、開山法春和尚「不思議の因縁を以て此寺に請待(しょうだい)し境内に泰安(おまつり)し玉ふ」とあり、伝教大師ゆかりの地蔵尊を善想寺に迎えるということについての理由。しかしこれら前記の疑問点をつなげるものがある。

例えば天台宗の門跡寺院は比叡山上にあった坊(小寺院)がその起源とされ、初代門主は伝教大師最澄とされている。日本の仏教の開祖の正式な後継者のことである。

善想寺石仏阿弥陀如来が後白河法皇による造立であるとすれば上記の疑問点はすべてつながる。四条後院内の後白河法皇造立の石仏阿弥陀如来の地は、浄土宗弘通の想阿善悦由来の善想寺を創建することによって形が整うのであり、本堂内宮殿の菊、鳳凰、御神鏡は法皇がまつる仏を表し、又法皇がまつる仏である限り前記の門跡寺院のように、日本仏教の開祖伝教大師ゆかりの寺院ではなく、開祖伝教大師ゆかりの仏、地蔵尊を祀ることにより日本の仏教(浄土信仰)の開祖の正式な後継となる。

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