浄土信仰は平安期に大きな流れが生まれます。
平安中期の空也、源信(往生要集)、平安後期には多くの造寺、造仏を行った後白河法皇と平安中期、後期の貴族そして法然の称名念仏と、200余年にわたり大きな流れが生まれます。
空也のほぼ同時代に源信がいて、主として比叡山を中心に貴族や僧などの知識人の間で知的な浄土教を広めています。それに対して空也は、庶民の間に遍歴遊行して情動的・狂躁的な浄土教を広めた点に特色があります。
35歳に京都で念仏をすすめ、当時の貴族仏教に対して民間に浄土教を普及した空也の功は大きいものがあります。そして四条後院(上皇の御所)にまつられていた善想寺石仏阿弥陀如来はその大きな流れが日本文化として姿を現したものといえると思います。そしてこれは平安期の重要な文化であると思います。
応仁の乱以降それまでのもの全てが灰燼と化しますが石仏はその時代の数少ない遺産であると思います。
平安期に生れた浄土教文化は仏教の視点から一人一人の人生を現し、さらに生と死の二分化という人間の生命活動の基本となる重要な文化であると思います。
>