永観2年(984年)から翌年にかけて源信(恵心僧都)の往生要集が表わされます。
往生要集は現世の無常をわきまえて浄土を願い極楽に往生するためには、念仏が最も大切であるとします。
のちの鎌倉新仏教の母胎となった点で教学上画期的な影響を与え、また当時の社会に信仰上の感化を及ぼします。また、永延2年(988年)には円融法皇は仏教の重要な儀式である両部潅頂(かんじょう)を受けられます。
四条御院の石仏阿弥陀如来(善想寺)や藤原家の宇治平等院の鳳凰堂(ほうおうどう)の阿弥陀如来等、皇族、貴族の浄土信仰からやがて鎌倉新仏教による一般の人々の浄土信仰へと広がって行きます。
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