生命の誕生、進化、生命活動(本能)を維持する言語により五感などを通して心が生じ、心(我、八正道)は言葉を通して生命体を含む時空(文化)へ向かう。
二分化の原動力は自然が有する存在と流れの双方関係であり即ち生命は言語を通して生命活動を表現していく。
自然と生命の間に生じる言語が音声・文字を得て言葉となるのであり、本能と文化はつながっている。
生と死の2分化をはじめとする生命活動は本能によって維持され、存在と流れの双方関係により成り立つ生命活動の言語は言葉ではなく本能によって生じるものであり(心に思い描かれるものではなく)、また言葉は心に思い描き、生じるものであり、この言語と言葉は共に存在と流れの双方関係によって成り立つ。
言語、言葉の本質(存在と流れ)は人間や生命の存在を創造、維持するものであると思う (存在と流れの双方関係の発生と停止)。
阿弥陀如来に帰依することは生命のありかを見つめ帰依することであり全てのものが戻っていくところであります。
仏法とは人間であり仏である釈尊の教えであります。
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