この文章は10年ほど前に人に贈るために創りました。
赤子を亡くした若い母親がその子を抱きながら狂ったように行者たちにこの子を生き返らせてほしいと頼んで歩きます。
どうすることもできません。
釈尊の所へ来て同じように頼みますと釈尊は「これまでに一度も赤子や若いものを死なせたことのない家に行ってその家の水をもらってきなさい。私がその水をこの子にかければ生き返ることができる。」と言われます。
母親は喜んでその家を探しに行きます。
しかしどこへ行ってもそんな家はなく釈尊のもとへ帰ります。
その間に母親はこの世の姿を知り自分と同じ多くの人間を見つけます。
釈尊は「あなたは本当は幸いである。女性として立派に成長し、夫を得、子供を産むこともできた。またあなたは若い。新しい生命を宿すこともできる。」と言われます。
この釈尊の教えを視覚的にとらえてみます。
人間は幸 不幸というこの世の色(しき)を見ます。
この場所は元来 空(くう)でありますが人が生を受けたとき 空からこの世 そして時 空の距離を持ち色となります。
それは一枚の衣の姿となって現れ 人はみなこの幸いの衣をはおります。
この衣は時空の糸で織り成された衣であり一生の間にはその人その人のさまざまな色を発し輝き始めます。
その衣の中にはその人の生まれるはるか以前の時空の糸や未来に輝きだす糸が垣間見られます。
又よく見るとすべての人の衣に大小様々なほころびをつくろったあとがあり、又つくろいきれないような大きなほころびもあります。
ほころびは時空を断ってしまいます。
この時空は関係性と自由と映ったり、存在と流れと映ったりします。
そしてこの衣に被われているのは現実の人間だけではなくその中心に八正道が存在します。
即ち 心はその中心に八正道を有します。
そして人がその生を終える時この幸いの衣は再び空に戻り 阿弥陀如来の願により浄土に至ります。
>