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平成22年春季彼岸法要・法話(3月21日午後2時勤修)

春季彼岸法要 春季彼岸法要

春季彼岸法要

祖先ということについて

人に二人の親あり、その親にもまたそれぞれに二人の親あり…に始まる祖先の捉え方は今も昔も変わらず仏教の教えであります。

すべての人間は夫婦、男と女によって生まれてくるのであり、すなわち直系の祖先は人類誕生と私たちをつないでいます。

夫婦の両祖先はその子供によって「ひとりの人間」の直系の祖先となります。

子供がいなかったとしても夫婦のその本質は変わりません。夫婦に生まれた兄弟(男女の区別なく)においては「すべて共通の祖先」であるということができ、これが本来の祖先の単位であり、この親子兄弟が「すべて共通の祖先」の基本であり人類存続の単位であります。

かつての家制度は職業や人間関係、身分家柄などにより社会をなす中の家族でありました。

初代の職業、家柄、家族とそれらの人間関係はすなわち一つの社会であり、それらの家が集まって国(藩)が成り立っていたといえます。

その初代の家を代々守ることが国を守ることであり、養子制度など、有縁、血縁の者が家を守ってきました。

そして祖先に対しては家代々という概念が一般化していったのだと思います。

本来の祖先では祖先の数はさかのぼれば膨大な数になります 又私たちの祖先を数代さかのぼれば、その数代の間には多数の「すべて共通の祖先」がいることになります。

そして人類誕生までさかのぼればアフリカのひとりのマザーに至ると聞いています。それはさかのぼることによってすべての人間が「すべて共通の祖先』であることを意味します。

時空における人間の生命活動において「すべて共通の祖先」は人類誕生から現在まで人類存続の基本であり、単位であると思います。

人は両親の霊位に手を合わせることによりこの「すべて共通の祖先」に手をあわせていることになると思います。

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