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平成26年3月住職法話 先祖について

「我に二人の親あり、その親にもまた各々に二人の親あり」として先祖は表されていきますが、5代さかのぼると2の5乗となり(2×2×2×2×2=32)、10代、20代とさかのぼることによる先祖は大変な人数となります。(さかのぼると親同士親戚もありますが)。

その先祖が功徳蔵である阿弥陀仏の浄土におられることは、阿弥陀仏を通して先祖を捉えることになります。今の私達も未来から見れば先祖の一人であります。

「法然上人行状絵図」の法然上人の言葉に『往生極楽のための教えと修行は、濁り汚れた末世において目や足ともなるべき大切なものである。僧侶も俗人も貴い人もそうでない人も、いったい誰が帰依しないであろうか』は私達にとって大事なことであると思います。

功徳は人間と人間の間に生じるすべての事実の中に遍在しているものと思います。先祖という日本人の歴史の中に遍在する功徳は阿弥陀仏の浄土によって表すことができるものです。

また「家」としてその先祖を表す時、5代さかのぼると2の5乗ではなく(2×5=10)10人の先祖がいます。しかし「先祖とは子供をさずかり育てる存在であり、もしその人が存在しなければこの私は今ここにいないという人々であり」、事実として先祖を捉える時、「家の先祖」を超えてより多くの先祖を捉えることになります。

このように「家としての先祖」と「代々の両親の先祖」という二つの捉え方の先祖がありますが、共通は「私達の両親」でありこの「私達の両親」を通して二つの先祖を共に表しています。即ち「家としての先祖」を祀る墓碑は「代々の両親の先祖」を祀る墓碑と捉える事ができます。私の両親を祀ることにより私の代々の先祖を祀ることとして墓碑があります。

即ち長男、二男、長女、次女、の区別なくその墓碑を守ることができるものです。

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