一神教、仏教、数学は共に起点とする位置付けが存在する。
この世界は事実であり空として表され、浄土は無と位置付ける事が出来る。即ち無(浄土)は共通性、起点であり仏教(「浄土」と「一人一人の人生」が双方関係)を通して、一人一人の人生として空のこの世界を表す。
この無は一神教においてはこの世界の起点即ち創造であり、共通性即ち普遍性である。
また神道は自然と生命における神々の双方関係において人間は有り、双方関係の世界を通して神仏習合としてある。また0を起点として空の世界を数字によって表していく時、数学となる。
世界を存在と流れとしてそれぞれの大いなるものを捉え、あらゆるものが双方関係としてある事を正しく認識することは八正道にかなうものである。
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