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平成28年9月 秋季彼岸会法話

法然上人の生涯は、その教えが人々に広まるほどに既成教団の圧力などから、弟子のある過ちにより法然上人は僧の資格をはく奪され、流罪となり再び京に戻られて間もなく建暦2年(1212年)に80歳で亡くなられている。

しかし称名念仏の教えは大きな流れとなり、日本の仏教を支えるものとなっていく。

このような法然上人の生涯に対して、法然上人の浄土宗開祖としての位置づけは帝都復興の前後を通して朝廷によって行われる。

称名念仏を説かれた法然上人の400年後、天正10年6月の本能寺の変を経て帝都復興の任を受けた秀吉は、京都検地に始まり、浄土宗寺町寺院創建として、善想寺(平安期造立の石仏の歴史により本尊阿弥陀仏を上皇がまつる本堂)を天正10年10月に創建する。

また帝都復興の50余年前の大永4年(1524年)、後柏原天皇より「知恩院にて法然上人の御忌を勤めよ」という「大永の御忌鳳詔」が出され、その後知恩院において毎年勤められ現在に至る。

また天正の帝都復興の100余年後の元禄10年(1697年)には東山天皇から大師号「円光」が贈られ、500回忌以降50回忌ごとに大師号が贈られている。

平成23年には今上天皇から大師号「法爾」が贈られている。

法然上人の浄土宗開祖としての位置づけは法然上人没後、400年の歳月の中で日本仏教の浄土信仰における称名念仏の位置づけが定まったといえる。

この世と浄土は空と無の関係性であり仏教の縁起の世界における浄土(無)はその起点となっていく。

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