人々の心に浄土信仰が生まれるのは、往生要集以後仏教が人間の人生を捉えた時であり、また称名念仏が人間の死後を浄土、無と定めるときである。
人間も含めた生命、自然の姿は縁起によって生じている。そしてこの縁起は科学として、人間の精神(釈尊の八正道)として大いなるものを表していく。
この大いなるものは無としてあらゆる時空の事柄と距離を持ち双方関係としてある。
神、仏としてある。新亡を阿弥陀仏の浄土に送る葬儀式や、先祖供養の勤め方も時代とともに変化してゆくものであるがその本質は変わっていない。
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