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平成29年2月 住職法話

天台宗高僧源信上人千年遠忌法要

本年は、往生要集を著わした浄土教の祖、恵心僧都源信上人の千年遠忌を迎える。(昨年は同千回忌に当たり比叡山延暦寺にて浄土宗、西本願寺が宗派を超えて法要を勤めた。)

2月17日浄土宗総本山知恩院において天台宗総本山比叡山延暦寺の森川宏映天台座主(91歳)が導師を勤め両宗派の僧侶、檀信徒参列のもと法要が営まれた。宗派を超えて敬う恵心僧都源信上人(942~1017年)の千年遠忌法要は2月14日にもお座主導師のもと西本願寺で勤められ、ともに天台宗の働きかけで史上初めて実現した。法要後、浄土宗の伊藤唯眞浄土門主(85歳)は「歴史的な一日となった。中国から比叡山、東山、全国へと教えが伝わった喜びを皆さんと分かち合いたい」と話された。

浄土宗の開祖、法然上人は源信上人が著した「往生要集」により七世紀の中国、唐の僧、善導大師の浄土思想を学ぶ。

往生要集では死後に極楽往生するには、一心に仏を想い念仏の行を上げる以外にないと説き、浄土教の基礎を創る。また、この書物で説かれた、地獄・極楽の観念、厭離穢土・欣求浄土の精神は、貴族、庶民らにも普及し、紫式部の「源氏物語」や思想などに大きな影響を与えた。往生要集が撰述された直後に、北宋台州の居士で周文徳という人物が、本書を持って天台山国清寺に至り、中国の僧俗多数の尊信を受け、会昌の廃仏以来、唐末五代の混乱によって散佚した教法を、中国の地で復活させる機縁となった。

源信上人は天慶五年(942年)、大和国(奈良県)に生まれ、幼名は「千菊丸」。7歳の時に父と死別。天暦4年(950年)信仰心の篤い母の影響により9歳で、比叡山中興の祖、慈慧大師良源に学ぶ。

天暦10年(956年)、15歳で「称讃浄土教」を講じ、村上天皇により法華八講の講師の一人に選ばれる。そして、下賜された褒美の品を故郷で暮らす母に送ったところ、母は源信上人を諌める和歌を添えてその品物を送り返した。その諌言に従い、名利の道を捨てて、横川にある恵心院に隠棲し念仏三昧の求道の道を選ぶ。

母の諌言の和歌-「後の世を渡す橋とぞ思ひしに世渡る僧となるぞ悲しきまことの求道者となり給へ」

永観2年(984年)11月、師・良源が病に侵され、これを機に「往生要集」の撰述に入る。寛和元年(985年)3月「往生要集」脱稿する。寛弘元年(1004年)、藤原道長が帰依し、権少僧都となる。寛弘2年、母の諌言の通り、名誉を好まず、わずか1年で権少僧都の位を辞退する。長和3年、「阿弥陀経略記」を撰述。寛仁元年6月10日(1017年7月6日)、76歳にて遷化。

臨終にあたって阿弥陀如来像の手に結びつけた糸を手にして、合掌しながら入滅した。

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